第三章
時・1966年6月25日(土曜日)
登場人物・B40&H18(一緒に行った友人)
場所・H18の部屋(六畳間)
二人とも、応接室のお古のソファにふんぞり返って座っている。前には、足付きハイファイ・ステレオがある。蓋が上に開く、そう、あの、いにしえのタイプだ。
H18「B40、きたないよな。手、上げないんだもん」
B40「だって、まだチケット持ってないもん」
その日の朝のホーム・ルームで、先生からのお達しがあったのだ。
先生「この中で、ビートルズの公演に行く者はいるのか?手を上げろ」
クラス全員の目がH18に集まる。H18は、その頃すでに、ほとんどビートルズ・ヘアでビートルズを聞きまくっているというのはクラス中に知れ渡っていた。H18はしぶしぶ手を上げた。
先生「やっぱり。頭も似てるしな。床屋へ行って耳出してこい。で、学校の方からは、ビートルズの公演には行かないようにということだ…もう、切符を買ってしまったのか?」
H18、頷く。
先生「ウム・・・ま、おとなしくしてろよ」
その頃、ビートルズを好きで聞いていると公言している人間は少なかった。そう、「不良」と噂されるからだ。実際、僕のクラスでビートルズを好きで聞いているのは41人中3人しかいなかった。僕と○○君とH18だ。僕と○○はいわゆる坊っちゃん刈り、公言はしていなかった。それに、僕はまだH18からチケットを譲ってもらっていなかったのでしかと、したのだ。
H18(以下 H)「わかったよ、はい」
と渡してくれたのが[Bの40番]の席のチケットだった。
B40(以下 B)「そっちはどこらへん。[一階 南側 H列 18番]?」
H「一階の大体ど真ん中。でも、そっちの方がステージに近いよ」
B「うーん」不満はあったが、これはしょうがない。
H「どんな曲演ってくれるだろうね」
B「ヒット・パレードだと思うけど」
H「うん、去年のアメリカ公演の時もそうだったみたいだし・・・
オープニングは何だろう…」
B「[ヤア!ヤア!ヤア!]だったら、一番派手だけどね」
H「うん。ラストはどっちだろ。
[のっぽのサリー]か[アイム・ダウン]」
B「僕は[のっぽのサリー]のほうがいいな」
H「ジョージは・・・」
H・B同時に「[ロール・オーバー・ベートーベン]」(笑)
H「しかないよね」
B「あはははは」
H「リンゴは?」
B「[彼氏になりたい]か[ボーイズ]」
H「うん。リンゴ歌へただから、どっちかになっちゃうよね」
B「あと、なんだろね。」
H「[ヘルプ]は演ると思うよ」
B「[涙の乗車券]演ってほしい」
H「[イエスタデイ]は演らないだろな」
B「うん、弦楽四重奏がないとね。まさか、
連れてこないだろうしね」
あっ、そうそう。高崎一郎が[ベイビーズ・イン・ブラック]
演るかもしれないって、あれでかけてた。
[JUN プレゼント
アワー ザ・ビートルズ]
あの、西銀座のサテライト・スタジオでやってるやつ」
H「まさか・・・。日本初めてなんだから、
[シー・ラブズ・ユー]とかヒット曲並べてくれると思うよ」
結果は、皆さんご存じのとうり、「ヘルプ」も「ヤア!ヤア!ヤア!」もない、その当時の日本のファンのイメージからすれば地味、マイナーな選曲で「デイ・トリッパー」なんか誰も予想していなかった。後になって、日本公演は、その夏のアメリカ公演のウォーミング・アップ・コンサートだったということがよく知られるようになったのだが。バカにされたような…とは思うものの…その当時の状況から考えてみると…ま、いろいろ複雑です。
で、アメリカ人に対する選曲という目でみてみると、なるほどと思う選曲なのです。見事に、アメリカでの比較的新しいヒット曲を並べてきていたのだった。
ここで、今回これを書くために日本公演の曲目をじっと、睨んでいたら浮かび上がってきた現在の僕なりのコメントを。
☆「Rock And Roll Music」
これだけは例外で、日本人の為の選曲だったと思う。 ビートルズはその国で一番流行った曲をトップに 持って来る、という話しを聞いたことがある。 それを信じる。コンサートのトップそのものにふさわしい曲でもあったのでアメリカでも、そのまま演ってしまった、のだろう。
☆「She's A Woman」
全米4位。ビートルズのヒット曲群の中でチャート4位までというのは目立たないけれど、たとえば、他のアーティストにしてみれば、全米ベスト10に入るというのは快挙になると思う。しかも、B面で。
☆「If I Needed Someone」
さて、今回はジョージには何を歌わせるべぇ。そこで、ジョージは自分からこれを演りたいと言ったのだろう。新しく、自分で作った曲を。曲の出来もよろしい、よかろう、と皆のO.K.が出た。こんなところだろう。
☆「Day Tripper」
全米4位だ。不思議はない。でも、当時日本では圧倒的に「恋を抱きしめよう」のほうが人気があった。シングル・ジャケットにも左側に「恋を…」右側に「デイ・トリッパー」と書かれて発売された。横書きなら当然左から読むから、「デイ…」がB面ぽく見え損をしていた。イギリスでは逆だったんだけど。確かに、くろうと受けしてしまう曲ではある。それに、当時「恋を・・・」をステージで演るのはかなり無理があったろう。そして、次に書くようにジョンとポールのバランスもあったと思う。
☆「Baby's In Black}
この曲だけはなかなか見当がつかなかった。1965年のアメリカ公演で演奏していたのを、後から知ってはいたが。で、日本公演の曲目をじっと…
ジョンの主導権の曲が4曲。ポールの主導権の曲も4曲。ジョージが一曲。リンゴも一曲。もう一曲は・・・デュエットか。見栄えもしたしね。低くこもったまま「デイ・トリッパー」が終わった。すぐに次の「ベイビーズ・イン・ブラック」が始まる。確かに、僕はこの曲の間、ずっと、ジョンとポールが2人並んで一本のマイクに向かって歌い続ける姿だけを観ていた。望遠鏡でも、肉眼でも。
つづく