1991年からのあゆみ

平成の世が始まったころ‥25歳
単身上京してデザインの修行を始めた

25歳で「もう一度デザインの勉強をし直したい…」と一念発起し、アートディレクター柳町恒彦氏のもと、東京銀座のデザイン会社マグナの門を叩きます。無謀さが功を奏し、兄弟会社であるテイブルへの入社を許されました。その後、まるで両眼が限界まで開いたように、デザインに目覚めてゆきました。約3年間先輩諸氏のご指導を賜り、毎日毎夜デザインの修行にあけくれました。この日々が無ければ、今の自分はまったく別の人生を歩んでいるでしょう。

1991年28歳で独立
ファクトグラフィックを設立

チャレンジャー精神は、ますます盛んになるばかり。銀座の事務所で3年も修行をすると「自分の思うがままにデザインをしてみたい…」との願望が肥大し、テイブルを退社。ファクトグラフィックなる自分のデザイン事務所を創設しました。やる気と体力の両面において絶頂期を迎え、抱えきれないほどの仕事をこなしておりました。広告代理店の社長さまより「おお、金の成る木を掘りに来たか?」と揶揄されるような日々が過ぎました。

マンスリーレギュラーの雑誌広告、販促ツール…、紙から立体まで、いただけるお仕事を全部引き受けていました。ひとつでも失敗したら終わる…自分を追い込み走り続けることになったのです。

1999年35歳で福岡に転居
第二の人生を歩む宣言

私的な理由が主で、東京を後にし福岡に移住。このころより音楽活動を始めるようになります。東京でフリーランスをしていた時代は、主にデザイン性より事業の成功に重きをおいていた気がします。求められる仕事を納めることで精一杯だった感も否めません。しかし、その日々が自分のデザイン力を引き上げてくれていたことに気付いたのが、福岡時代です。

「深津さんで」とご指名で仕事をいただけるようになりました。

グラフィックデザインに自分の世界を見出し始めた頃、その手法をウェブにも応用できないか?と思い立ち、世にもあまり存在しない「グラフィックとウェブの二刀流」デザイナーとして歩み始めました。